BELIEVER

 場違いな拍手が響き渡った。

 ビリィは思わずルッカを見るが、ルッカの手はまだしっかりとビリィの腕をつかんでいて、とても手を叩ける状況にはない。
 ドリィもまた、愕然とした表情でビリィを見つめていた。しかし拍手の音が近づいてくると同時に眉を険しく寄せ、音の方向を睨み付けた。

「とうとうここまでたどり着いたんだね、ドリィ姫。君ほど聡明な女性なら可能だと思っていたよ」

 瓦礫の間から姿を現したのは、20歳そこそこの男だった。くすんだ金髪を無造作にくくり、赤い瞳には片眼鏡をかけている。長い白衣のポケットには手をつっこんでいて、出で立ちだけならば今でいうマッドサイエンティストそのものなのだが、立ち居振る舞いの隅々には、なぜかどことなく上品さを感じさせた。
 その男はニコリ、と口の端を上げると、白衣に手を入れたまま一礼した。
「お久しぶりです、ドリィ姫。お変わりないようで何よりだ」
 それがドリィの今の姿を揶揄した言葉だということはビリィにもすぐにわかった。思わずかっとなって相手をにらみつける。
 逆に、ドリィは冷静だった。
「あなたこそ、全く姿が変わらないわね、ラス」
「ラス…!?」
 それでは、この男が先ほど話していたラス・ト・ティラーだというのか。ビリィは驚いて再度男の方を見た。

 どう見ても、何の力もなさそうな普通の男だ。腕っぷしでいうならビリィの方が何倍も強いだろう。飄々とした佇まいからも、特に大それたことを考えるような雰囲気にも見えなかった。こんな場所で何気なく出てきたことも、ビリィを混乱させていた。ラスは城の中にいるのではなかったのか。
 愕然と自分を見ているビリィを一瞥して、ラスはふっと笑った。
「あれが君の王子様かい、ドリィ」
 ぴくり、とドリィの肩が動いた。
「……ビリィは勇者よ。この世界を救う」
 ドリィの言葉にラスは肩を竦めた。そしてはっとルッカの存在に気付く。
「おや、この子は」
 ドリィがバッとルッカの前に出た。その視線からかばうように立ちはだかる。
 ルッカは不安げにドリィの服の裾をつかんでいた。
「ドリィ…何なのこの人、怖い」
 ルッカの言葉に、ラスは大げさに「心外だ」という動作をとった。ポケットを探ると、箱を取り出す。そこから取り出した棒にマッチで火をつけた。反対側から煙を吸い込むとふぅっと吐き出す。
 一連の動作を怯えたように見ていたルッカに、ラスは笑いかけた。
「これはティアモの中でもさらに古い嗜好品の煙草≠チてやつだよ。コルマガの地下にはこいつの貯蔵庫もあってね。時化ってないやつをこうしてたまに失敬しているんだ」
 そう言ってラスはいたずらっぽくウインクしてみせる。その動作のひとつひとつの真意が全くつかめなくて、ビリィとルッカは戸惑うばかりだった。どんなに確認しても、ただの普通の人≠ノしか見えない。

 この人が本当に、国民をアビスにするよう国王を先導したのか?


「……ラス、あなた本当にここにいたのね。あれから10年間、ずっとこの国に」
 ドリィの言葉にはっとした。言動のまともさに気を取られて、完全な異様さに気が付かないところだった。
 そう、普通の人間であれば、こんなところに10年も住めるはずがないのだ。
 言葉を向けられたラスは、眼鏡の奥の赤い瞳をゆっくりと細めた。
「君をずっと待っていたよ、ドリィ姫」
 ギリ、とドリィが歯軋りをする。こんなに感情をあらわにするドリィは初めてだった。ビリィは思わず一歩後ずさる。それをラスがまた一瞥し、そして笑った。
「なら、なぜあなたはあの日、私を遠くへやったの!アビス細胞を完成させ、それを父に与え、この国を滅ぼして……一体あなたの目的はなんなの!?」
 食って掛かるように叫んだ。ルッカが驚いてドリィをつかんでいた手を離す。
 ラスはまた煙草を吸った。ふっと煙を吐くと、今度はドーナツ型の煙がぽかりと浮かんだ。
「ドリィ、君は覚えているかな。僕があの日、君に言ったことを」
 ラスは静かに語り掛けた。そこだけが時間の流れが違うようだった。
 しかしその言葉を受けたドリィは愕然とした顔をする。震える唇で呟いた。
「愛は、世界を滅ぼす……」
 ラスは頷いた。その顔は少し嬉しそうでもあった。くるりと三人に背を向けると、城に向かって歩き出す。2,3歩進んで振り返ると、ドリィたちを手招いた。

「ここへは君たちを迎えに来たんだよ。長い間一人だったから、つい待ちきれなくてね。ドリィ、僕らだけ話してたら、そこの二人が置いてけぼりになってしまうだろう。どうせこの国に来る目的が僕だったなら、城でゆっくり話を聞いていかないかい?
 僕は語り部、君がこの国にたどり着いた今なら、僕は僕の目的を、君に語ろうじゃないか」

 そのラスの行動に、ドリィは戸惑ったように後ろにいるビリィ達を見た。当然、ビリィたちの方がもっと戸惑っていた。
 ビリィとルッカは顔を見合わせたが、しかしビリィの方が意を決したように前を向いた。
「話を聞こう、ドリィ。どうせそれが目的だったんだ。それに僕も、なぜこんなことが起こったのか、その理由が知りたい」
 そう言って前に進み出た。ラスを真っ直ぐに見据える。
「本当にこの人がコルマガの国民をアビスにした張本人なら、君やルッカの体を治す方法も知ってるかもしれない」
 ビリィの言葉に、ラスは一瞬呆けたような顔をした。しかしすぐにたまらないといった風にくっくっと笑う。
「なるほど。ドリィ、なかなか面白い男を見つけてきたじゃないか。気に入ったよ」
 ドリィは憮然とした表情で答える。
「あなたに気に入られたくて連れてきたわけじゃないわ」
 そう言うとドリィもラスの方へ歩みだす。途中で振り向いて、ルッカに手を差し伸べた。
「行きましょう、ルッカ」
 ルッカはおずおずといった風にドリィの方を見た。暫く逡巡していたが、ぐっと息を飲みこむとドリィの手を取る。

 ビリィはそんなドリィを見て、再度ラスを見た。その飄々とした様子の背中と、つい今ドリィと交わされた会話を思い返す。

 ドリィの言葉が正しいなら、この男こそが全ての元凶であり、憎むべき相手だ。しかしそれにしてはドリィの言動はラスに対する気さくさというか、ビリィに対してとは違う腐れ縁のようなものを感じていた。そう、ビリィとルッカのような。
 確かに、ラスがこの国で最高科学技術官をやっていたというのであればドリィとも当然旧知の仲なのだろう。しかしこの二人の間にはそれだけでない何かがあるような気がして、ビリィは自分でも気づかない内に胸の内にもやもやした気持ちが湧き上がっていた。思わず胸のあたりに手を当ててしまい、しかしその行動の意図すら自分でわからずに首を傾げる。


 そんなビリィの様子を見て、ラスはその笑みを深くした。そして芝居がかった大げさな動きで、ラスは天に向かって手を上げる。
「では語ろうじゃないか。ラス・ト・ティラーの半生、その目的を」




************

 瓦礫の山を暫く進むと、コルマガ城にたどり着いた。遠目から見た時は惨澹たる有様であったが、こうやって近くに来るとボロボロではあるものの城壁がしっかりと立ち、意外と城としての体裁は保っている。それでもあちこちに穴の開いた城は太陽の光が内部を容赦なく照らし、長期間野ざらしにされた城内はあちこちが劣化していた。半壊した門をくぐり石畳を抜ける。城内の中央部、その床には頑丈そうな鉄扉が取り付けられていた。
 ラスがその扉を開けると、同時に地下へ続く階段の明かりが次々に点っていく。
「コルマガの初代国王はティアモのテクノロジーを受け継いだ数少ない人物の一人でね。コルマガ城には未だこのような前時代の産物が残されているんだ」
 驚いて声も出せずにいるビリィにラスは説明した。
 ドリィの持っていたあの球体に近いものだろうか。しかしゆらゆらと揺らめく明かりは炎にも似ていた。
「風情があるだろう。ティアモは徹底的に無駄を省いたものばかり優遇される傾向にあったが、僕はこちらの方が好きだったな。そういえば、ティアモの中でもさらに古い歴史の中では『発達しすぎた科学は魔法にも見える』なんて言われていたらしいが、君にはこれがそう見えたりもするのかな」
 靴の踵を鳴らしながらラスは薄暗い階段を下りていく。やたら饒舌だった。対してドリィは先ほどから押し黙ったままずっとラスの背中を見つめている。


 地上部分の損壊に比べて、城の地下書斎はほとんど被害を受けていなかった。
 少しずつ階段を下りていくと、段々背の高い本棚が姿を現してくる。そのひとつひとつにぎっしりと本が詰め込まれており、ずっと遠くまで続いていた。
 どのぐらいの広さがあるのか。果ては暗闇に隠れて見えなかった。
「すごいな……」
 ビリィは思わず呟く。
「国王が代々集めてきた本だよ。コルマガの歴史書、この世界の地理や地方ごとの特色が書かれた本なんかだね。とはいえ、全体の7割はティアモについての本になるかな。君は字は読めるのかい?」
 階段を下りながら、ラスが振り向かずに説明を続けた。最後の質問にビリィは憮然とした表情で答える。
「……多少なら。でもここにある本はいろんな意味で読めそうにない」
「はは、そうだろうな」
 馬鹿にされたのだろうか。ビリィはむっと眉を寄せる。しかしビリィの表情を見ていないラスは気にしないそぶりで質問を続けた。
「ビリィと言ったかな。君はどこの生まれだい」
 その言葉に、ビリィは反射的に口を開きかける。ハッとしてすぐに噤み直すと、問いかけるようにドリィの方を見た。
 ドリィも少しこの状況に戸惑っているようだった。困ったように視線をビリィとラス、交互に彷徨わせる。少し間を置いて、キッと前方を睨み付け、ラスの背中に語りかけた。
「あなたが話をしてくれるんじゃなかったの、語り部さん。半生と目的はどうしたのかしら」
 茶化した言い方だったが、語気は強かった。ラスは「厳しいな」と苦笑する。
 階段を降りる靴音も話し声も、この広い部屋の中でまったく反響しなかった。本の中に音が吸い込まれてるみたいだ、ビリィは場違いにもそんなことを考える。
「参考までに聞いてみたかっただけだよ。ただの興味さ。その服、東のストイア地方でよく着られてるものだろう。もしかしてイース国の出身なのかと思ってね」
 ラスは悪びれもなくそう言った。ビリィはしばらく逡巡して口を開く。
「確かに、僕はイースから来た。この旅を始める前はね。でも、生まれはエストだ。お前が産み出した、アビスに滅ぼされた村だ」
「何を言ってるんだい。コルマガ王国の国民をアビスに変えたのは、私でなく五代目国王、レジウ・マストだろう。ドリィ姫にそう習わなかったかい?」
 意を決したようにビリィが言った一言を、ラスはそう言って退ける。ビリィの横でドリィが息を呑む音が聞こえた。
 ビリィがカッとなり、更に言葉を浴びせようとする――と、いつの間にか階段は終わり、本棚と本棚の間の少し開けた場所に出ていたことに気づく。そこには大きなテーブルと、沢山の椅子が乱雑に並べられていた。椅子のいくつかには、何冊かの本が無造作に積まれている。ラスは本の乗っていない椅子を指し、三人に座るよう促した。
「すぐお茶を入れよう。待っているといい」




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