BELIEVER

 コルマガ王国は巨大な国だった。

 それは土地がそうであると共に、人口・資源・文明や科学力、全てにおいてコルマガはこの世界中のどこよりも凌駕していた。
 コルマガ王国建国以降、世界にはいくつかの国が生まれていた。そのうち東のイースのみは国としてそこそこの発展を遂げていたが、それ以外はいくつかの村が寄り集まった、形だけの国がほとんどだった。
 そうして生まれた国も、ビリィが知る限り今や半分以上がアビスによって滅ぼされている。旅の中でそのような話を聞くにつけ、ビリィは内にある闘志を静かに燃やした。
 ドリィと出会い、旅の目的は少しずつ変わりつつある。だが、根底にある思いは同じだった。

 そしてそれも、もうすぐひとつの区切りを迎えようとしていた。




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 エストの村から出発して3日ほど経ったころ、ビリィたちは大きく切り立った崖の下にある、小さな洞穴の前にたどり着いていた。
 ぽっかりと口を開けた洞穴の奥は真っ暗で何も見えない。ここを抜ければ、コルマガ王国は目と鼻の先に見えてくるはずだった。
「王家の道か、懐かしいね」
 ビリィが目を細めた。

 コルマガ王国は国土を囲う大きな壁と共に、周りを取り囲む煩雑な地形からも守られていた。地獄に繋がるとも言われている深い谷や、とても人間が歩けない大岩だらけの大地、マグマの池。その中でも比較的通りやすいのがこの崖の中を通る洞穴だった。コルマガ王国に繋がるため、ビリィたち近隣の村に住む者からは「王家の道」と呼ばれていた。

「ここをぬければコルマガね。恐らく、今夜はこの中で夜を明かすことになるでしょうけど」
 そう言うとドリィは鞄から白い球体を取り出した。表面に指を滑らせるとそれはゆっくりと発光を始める。
 これもまたティアモの遺産か、ビリィは感心した面持ちでその球体を見つめ、ルッカは目を輝かせた。
「行きましょう」
 対してドリィの声は堅かった。当り前だ。この先にはコルマガ王国……彼女の故郷であり、旅の目的地があるのだから。

 一歩一歩進むごとに、光は洞穴の奥を照らしていった。ゴツゴツとした岩肌が姿を現す。
 1分も歩くと外からの光は全く届かなくなり、球体の白い光だけが三人とその周辺を照らし出していた。

「それ、一体何を動力にして動いているんだい?」
「空気中の酸素を取り込んで、中で何かと燃焼させて反応させているみたい。旧時代は一度人口が爆発的に増えたこともあって、道具の省エネルギー化がさかんに行われていたらしいわ。消費活動の最盛期はわざとすぐに壊れるものばっかり作っていたらしいけど、無限エネルギーが開発されてからはこうやって、いかにあるものだけで長期間使い続けることができるかに重点を置くようになったみたいね。おかげでティアモが滅んでこんなに経っても使うことができるわ」
「……へぇ」

 軽い気持ちで聞いたものの、ドリィの言っていることがビリィは半分もわからず肩をすくめるしかなかった。ルッカの方を見ると、一割すらわかっていないようで目をパチパチと瞬かせている。失われた文明、その科学力。末端を覗くだけでも、その強大さには驚くばかりだった。
「ドリィは本当にティアモのことをよく知っているね。それは旅で得た知識なのかい?」
 ビリィの問いに、ドリィはためらうように俯いた。しまった、と思う間もなく、逆光の中で明るい笑顔がこちらに向けられる。
「コルマガ城の地下にはとても大きな書斎があったの。そこで学んだのよ」
 ドリィはなんてことない、という風に笑って言った。

「アシンメトリィ・コミットから辛くも生き残ったのは人だけじゃなかった。旧時代の記録は当時生き残った人々によって、欠けたデータをつなぎ合わせて書物にされたの。そのほとんどが、コルマガ王国に保管されていたわ。私は書斎の中で、そういった本たちを読むのが一番の楽しみだった」
 ドリィはまた前を向き、歩きながらそう話した。表情は伺えなかった。
 ドリィが思った以上に饒舌に話してくれることに戸惑いを覚えながら、ビリィは「…ごめん」と謝った。ドリィは「なんで謝るのよ」と笑った。
「書斎は城の地下に作られていたから、きっとまだ残っていると思うわ。コルマガについたらビリィにも、旧時代の話を聞かせてあげる」
 ドリィの声は弾んでいた。先ほどのためらいは嘘のようだった。コルマガについての話はきっと全て拒否されるだろうと思っていたので、ビリィは拍子抜けした。
「……二人が何を話してるのか、全然わからない」
 ルッカがビリィの腕にまとわりついて、ぶぅ、と頬を膨らませた。ドリィが笑いながら振り向いて、ルッカの頭を撫でる。
「ふふふ、コルマガ王国では、ルッカにもわかるように話をしてあげるわね」

 白い明かりに照らされて、岩肌に取り付けられた燭台が見える。かつてコルマガ王国があった頃は、ここに絶えず炎が灯されていた。幼い頃、初めてコルマガ王国に向かった時、ここを通るのを泣いて嫌がったこともあったっけ、とビリィは思い出していた。洞穴に点々と灯された炎の明かりだけではどんなに心細かったことか。その道を、今はロストテクノロジーの放つ光と共に歩いているのがなんだか不思議だった。
 遠い過去に思いを馳せるビリィの様子を見つめていたドリィが、不意に口を開いた。

「ねぇ、ビリィは愛で世界が救えると思う?」

 それは突拍子もない質問だった。なぜドリィがそんなことを突然言い出すかわからず、ビリィは何も答えることができなかった。ドリィはしばらくビリィの返答を待っているようだったが、やがて苦笑しながらため息をついた。
「……ごめんなさい、ビックリさせちゃったわよね。少し、昔のことを思い出していたの」
「昔の……?」
 ビリィは戸惑いがちに口を開いた。やはりこの洞穴に入ってから、ドリィが過去のことに対してやけに饒舌になっている気がする。コルマガ王国が近いからだろうか。
「そう、聞かれたの、昔」
 ビリィの胸の内を知ってか知らずか、ドリィは言葉をつづけた。
「その人は言っていたわ。『愛は、世界を滅ぼす』って」

 三人の間に沈黙が流れた。ドリィの言葉の真意を図りかねて、ビリィはやはり何も言えずにいた。ルッカもまた押し黙っていたが、やがて我慢できないという風に声を上げた。
「なんで、ドリィはそんなこと言うの?」
 ビリィの腕を掴む手に力がこもる。
「好きは、幸せな気持ちだよ。好きって気持ちは、心があったかくなる気持ちだよ。誰かを幸せにしたり、幸せにしてもらったり。だけど……気持ちは、気持ちだけだよ。誰かと誰かの間にあるだけで、世界をどうこうなんてない」
「ルッカ……」
 その瞳はまっすぐにドリィを見つめていた。ビリィは困ったようにドリィとルッカを交互に見やった。ドリィもまた、しばらく黙ってルッカを見ていたが、やがてふっと息を吐くと、
「そうね、ごめんなさい」
 と笑った。しかし今度の笑顔は、ビリィが初めて会った時に見たような、泣きそうな笑顔だった。
「変なことを聞いちゃったわね。ごめんなさい、困らせてしまって」
 ドリィの言葉に、ビリィは「いや……」としか答えられず、こんな時に気の利いたことのひとつも言えない自分の不器用さに歯噛みした。

 気まずい沈黙が三人を支配していた。やがて白い光がゆらゆらと揺れだすと、ドリィは立ち止まった。
「時間切れね。今日はここまでにしましょう」
「えっ?」
「エネルギー切れよ。これ、一度休ませないと明かりが消えちゃうの。洞穴に入った時間を考えると、外もちょうど夜になっているだろうし。完全にエネルギー切れになる前に火を焚かないと」
 言うが早いか、ドリィは燭台があったところに球体を置くと荷物を下ろした。ルッカとビリィも顔を見合わせると、慌ててドリィに駆け寄って手伝いだす。小一時間も経たない内に、洞穴の中の明かりは白い光から赤い炎にとってかわった。準備をしている内に先ほどまでのわだかまりは解けたらしく、ルッカはドリィと何気ない会話で笑っていた。ビリィはほっと胸をなでおろす。
「今日は星が見えないね」
 ルッカが天井を見上げた。火炎石が洞穴の中をオレンジに照らして、白い光の時よりも広範囲を見ることができた。
「ふふふ、おうちの中みたい」
 そう言ってルッカは笑った。
「寝心地は悪そうだけどね」
 ビリィもつられて笑う。ドリィは目を細めて二人を見ていた。




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